4月に行われた地方統一選挙の際に、当選祈願をさせていただいた三ヶ根観音へ、5月18日の早朝に当選御礼にお伺いさせていただきました。ご祈祷もお願いをさせていただき、爽やかな天気と相まって、改めて身が引き締まりました。
三ヶ根観音とは?
三ヶ根山山頂に建立された三河三十三観音霊場の十九番札所 三河湾国定公園の中心地、三ヶ根山山頂にある三ヶ根観音(さんがねかんのん)は、商売繁盛の観音として知られています。 本堂前の「源平咲き分けの椿」は一本の木に紅い花と白い花が咲く珍しい椿で、源氏の武者が源氏の再興を占って植えたとの伝説があります。市指定天然記念物 広い境内には太平洋戦争のフィリピン戦の戦没者を弔う比島観音や慰霊碑、西国三十三観音、ぼけ封じ白寿観音などもまつられています。 展望台からは美しい三河湾の島々や知多半島、渥美半島などを一望することができ、アジサイやサクラ・ロウバイ・萩・ムクゲなどの季節の花々も参拝者の目を楽しませてくれます。
西尾市観光協会ホームページ
……と三ヶ根観音をご紹介しようと思い調べていたら、こんなページも見つけたのでご紹介します。
まんが日本昔ばなし データベース
まんが日本昔ばなし「三ヶ根観音」あらすじ
昔、三河の浜辺の村(今の愛知県西尾市)では、はやり病がおこり、多くの人が高い熱を出して苦しんだ。
早くに妻を亡くした漁師の源三の息子「源吉」も、昨日から高い熱を出してうなされるようになった。村人たちが芋や魚をもって源吉の様子を心配して見に来るが、源三は「大したことない」というだけであった。しかし本当は、源吉のことがとても心配だった。
五日たっても六日たっても、源吉の病はよくならなかった。日に日に弱っていく源吉を見ていると、源三はたまらなくなり、夜の浜辺に向かって一心に祈った。
すると、海の沖の方に何やら光るものが見えた。不思議に思った源三は漁師仲間と船を出して、その正体を確かめに行った。それはとても大きく、不気味なこぶが多い古木で、見れば見るほど気味が悪かった。
源三たちは「これがはやり病を起こした疫病神だ」と思い、古木を燃やすことにした。しかし、村中の薪を集めて燃やしても、不気味な古木は小枝一本燃えないのであった。
すると、そこに旅の坊さんが通りかかった。この古木は、魂が宿ったありがたい木であるという。この木を祀れば、はやり病はみんな治るということであった。
その日から坊さんは昼夜を問わず、のみをふるって古木で観音様を作り始めた。やがて大変見事な観音様ができあがると、あれほど苦しんでいた源吉はすっかり元気になった。他のはやり病に苦しんでいた村人たちも、みんな元気になった。坊さんはそれを見ると安心して、村を去って行った。
村人たちは、観音様をこの地域で一番高い三ヶ根山の山頂に祀った。今でも「三ヶ根観音」と呼ばれ、人々の信仰を集めている。
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